ブログタイトルつけてみました

これまではそのまま

「nesoberuinuの日記」

だったのを、

「寝そべる犬が読む判例日記」*1 *2

としてみました。

センス悪いですかね?

まあしょうがないですね。

10月25日のエントリの補足(その2):公訴時効制度の根拠

25日のエントリで私は、

弁護側の引用する学説が、公訴時効制度の根拠が被疑者の保護にあるとする立場から、公訴時効がいたずらに延びることを防止したい、という趣旨だとしたら、その気持ちは良く分かる、と言いたいのですが…

と書きましたが、これは、何を言ってるのか解らなかったと思います。

今日は、このあたりを補いたいと思います。

公訴時効制度の根拠

「一定の期間経過により公訴ができなくなる」という公訴時効制度(刑事訴訟法250条)。

なぜ、刑事訴訟法はこんな制度を置いたのでしょうか?公訴時効制度のの根拠は何?

刑事訴訟法は、この疑問については何も答えてくれません。すくなくともハッキリ明文で書いてあるわけじゃないです。

そこで、学説の登場となるわけです(じゃーーん!!)。



1.実体法説  時間の経過により被害者の被害感情・応報感情が薄れ、犯罪の社会的影響が弱くなり、これによって国家の刑罰権が消滅するため。


2.訴訟法説  時間の経過によって証拠等が散逸し、適正な裁判の実現が困難となるため。


3.総合説   1説と2説の両方が根拠である。


以上三説が、いずれも国家(もしくは被害者)*1の側の都合から公訴時効制度の根拠を説明しているのに対し、被疑者*2の立場からこれを説明しようとする説として、


4.新訴訟法説  犯人が一定期間訴追*3されないという状態が続いたという事実を重んじ、国家の訴追権の行使を限定し、個人を保護する制度が、公訴時効制度である。


が主張されるようになりました。

田宮裕など有力な学者がこの説によったみたいなので、有力説といってよいかもしれません。

ちなみに、私の以上の記述が拠るところの、田口守一『刑事訴訟法[第四版補正版]』も、この説を支持しています。

また、公訴時効制度の根拠について、どのような立場に立つかを明らかにする判例は出ていないようです。

公訴時効停止制度(刑事訴訟法255条)と上記の学説の関係

25日のエントリで、

弁護側の引用する学説が、公訴時効制度の根拠が被疑者の保護にあるとする立場から、公訴時効がいたずらに延びることを防止したい、という趣旨だとしたら、その気持ちは良く分かる、と言いたいのですが…

と私が書いたのは、上に書いたことを前提として、

「弁護側の引用する学説が、新訴訟法説の立場から『公訴時効がいたずらに延びることを防止したい』という趣旨だとしたら、その気持ちは良く分かる」

という意味だったのです!!

分かりにくかった*4と思いますけど…


つまり、

刑事訴訟法255条の公訴時効の停止制度は、被疑者にとって不利な制度である。
ならば、被疑者保護を重視して、公訴時効停止制度の働く期間をなるべく短く抑えようじゃないか!!
だから、単なる短期の海外旅行に過ぎない場合には、「犯人が国外にいる場合」には当たらないとして、公訴時効は停止しない、と考えるべきじゃないか!!!

という考え方が、新訴訟法説の立場から主張されててもおかしくないな、と思って上のように書いたわけです。

ところが。

27日のエントリに書いたように、逐条解説書(コンメンタール)に直接当たって調べてみた結果、どこにもそんなことは書いてなかったのでした…orz

このエントリの趣旨

ようするに、私が25日のエントリで、

弁護側の引用する学説が、公訴時効制度の根拠が被疑者の保護にあるとする立場から、公訴時効がいたずらに延びることを防止したい、という趣旨だとしたら、その気持ちは良く分かる、と言いたいのですが…

と書いたことは、忘れてください!!!

っていうのが、今日のエントリの趣旨でございました。

*1:ちなみに、これは常識だけど、刑事訴訟の当事者は被告人と検察(すなわち国家)。「国家が、この被告人に対して刑罰権を発動させてよいか」を訴訟の対象とするのが、刑事訴訟ってわけです。

*2:新聞なんかは「容疑者」って言うけど、法律用語としては「被疑者」が正しい

*3:検察官により起訴されること

*4:ってか、刑事訴訟法を勉強したことのなかった人には何のことやらサッパリな文章だったと思いますけど。

10月25日のエントリの補足:刑事訴訟法255条1項の解釈をめぐる学説

朝日新聞の元記事

タイトル「海外旅行でも時効停止 最高裁が初判断、従来学説覆す」

刑事事件の時効について「犯人が国外にいる場合は進行を停止する」と定めた刑事訴訟法の規定をめぐり、最高裁第一小法廷(桜井龍子裁判長)は「一時的な海外渡航でも適用される」という初判断を示した。これまでは、短期間の旅行のような場合はカウントされないという学説が有力だったが、最高裁が逆の立場を採用する形となった。

この記事によれば、「短期間の旅行のような場合はカウントされないという学説」が有力であったということなので、ほんとかな?と思い、大学図書館で調べてみました。

基本書

まず、基本書*1をチェックしてみると、この点に言及するものはひとつもありませんでした。
まあ、要するに、あまり刑訴法体系全体の理解にもかかわってこないし、初学者向けの本で触れなきゃいけないほど重要な論点じゃない(ってのも語弊ありますが)ってことでしょうね。

逐条解説書(いわゆるコンメンタール

まず、「短期の海外旅行には適用されない」説(今回弁護側の引用した説)

立花書房『註釈刑事訴訟法 第二巻』青柳文雄ほか著 382-383ページ

二 犯人が国外にいる場合における時効の停止
1 要件
 犯人が国外にいることだけで足り、逃げ隠れている場合とは違って、公訴の提起の有無を問わず、起訴状謄本の送達又は略式命令の告知の能否も要件とはなっていない(この点は文理上明らかであり、ほとんど争いがない(略))。
 (略)単に国外旅行中にすぎないような場合は、「国外にいる場合」に含まれない。国外にいる場合には無条件に時効の進行が停止するものとされるのは、送達の不能ないし困難の理由によるものであるところ、国外旅行中の場合は、住所が国内にあって送達*2が可能であるからである。

執筆者:臼井滋夫(最高検察庁検事(1976年当時))


次に、「短期の海外旅行にも適用される」説(最高裁の採った説)

青林書院『大コンメンタール刑事訴訟法 第四巻』藤永幸治ほか編 130-131ページ

 ところで、単に海外旅行中の場合も、「国外にいる場合」に当たるであろうか。国外にいる場合には無条件に時効の進行が停止するとしたのは、送達の不能ないし困難を理由とするから、国外旅行中の場合は、住所が国内にあって送達が可能である以上、これに含まれないとする有力な見解(略)があるが、刑訴法上の送達は被告人本人に対してなされなければならないこととの関連において疑問がある上(略)、規定上は国外に逃げ隠れしている場合と国外旅行中である場合とを区別しておらず、また犯人が国外にいる以上はその目的が何であれわが国の捜査権が実際上及ぼしにくい状況にある点でも特に差がないのであるから、単に国外旅行中の場合であっても、「国外にいる場合」に当たると解するのが相当であろう。(略)訴追を逃れるために積極的に国外に逃避するというケースが多いと思われるがそれに限る必要はない。

執筆者:吉田博視(最高検察庁検事(1995年当時))

ほか二冊のコンメンタールを調べましたが、それぞれ両説に分かれていました。
単純にコンメンタールの記述の数で比べても、半々というところでした。「海外旅行に適用されない説」を学者が唱え、実務家(検事・判事)がこれに反対して「適用される説」をとっているんじゃないかなあ、と、なんとなく思っていた*3のですが、必ずしもそうじゃなかったみたいです。
上記引用の両説の執筆者は奇しくもいずれも最高検の検事ですからね。
必ずしも実務家「適用される説」対学者「適用されない説」という構図ではないようです。


いずれにせよ、調べてみた限りでは、一方の学説がもう一方より有力であるという感じはしませんでした。

結論

ただ調べてみただけのエントリでしたが、「最高裁が…従来学説覆す」という朝日の見出しは、ちょっとミスリーディングなんじゃないかな、と思いました。

以上です。

*1:学生・受験生・独習者等に向けて書かれた法律学の教科書。「民法の基本書」とか、「刑事訴訟法の基本書」とかいいます。たいていはある程度名の知れた学者が書きます。「我妻民法」とか、「団藤刑法」とか。実務家の書いた基本書もあります。藤田広美元判事の書いた民事訴訟法とか。

*2:刑事訴訟法54条、民事訴訟法98条以下。裁判所が訴訟上の書類を訴訟当事者(原告・被告・被告人ほか)に送り届けること。

*3:刑事訴訟法の解釈学の世界では、実務家(検事・判事(!))が捜査機関(警察・検察)寄りの見解を採り、被疑者・被告人の人権保障を重視する学者がそれに反対する説を唱える、という傾向があるような気が、なんとな〜く、します。

有村さんすごいです

id:y_arimさんがブクマしてくださるまでページビューが20弱しかなかった(うち半分は自分)のに、今見たら785ですよ!


有村さん、凄いです。


せっかくはてなアカウント取ってブログ開設したんで、たまには更新しようかと思います。

最高裁の判決や、その他注目すべき判決が出たときに、コメントするような内容にしようかなと。
法律の勉強をしたことがない人にもわかるような解説が書きたいんですが、多忙なロースクール生なんで、あまり更新頻度高くはならないかな…


ってか、ブログにかまけてたら司法試験落ちますし(^_^;)

今回のケースにおける最高裁判決と学説との関係

今回のケースの法律上の争点

今回のケースは、公訴時効*1の停止に関する刑事訴訟法255条1項

犯人が国外にいる場合又は犯人が逃げ隠れているため有効に起訴状の謄本の送達若しくは略式命令の告知ができなかつた場合には、時効は、その国外にいる期間又は逃げ隠れている期間その進行を停止する。

の解釈に関して、短期間の海外旅行についてもこの「国外にいる場合」に含まれるのか、という点が問題になっています。


今回の最高裁判決が出るまで、この点についての判例は存在しませんでした。

一方、学説は存在したようです。

学説

id:y_arimさんのブクマした朝日新聞の記事によれば、

弁護側は上告審で「国外にいる場合に時効を停止するのは、起訴状を送達することが困難なためだ」という学説を引用し、「一時的な海外旅行の場合はすぐに帰国し、起訴状を受け取ることができるため、時効の停止を認めるべきでない」と主張した。

ということです。
この点に関して、今、私の手元にある刑事訴訟法の基本書(田口守一『刑事訴訟法[第四版補正版]』)には記述がありません。
推測ですが、おそらく、弁護側の引用したという学説は、上記引用の刑事訴訟法255条1項の、

犯人が国外にいる場合

という文言の趣旨を「起訴状を送達することの困難」に求め、であるならば、すぐに帰国し起訴状の送達を受けることのできる旅行の場合にはこの規定は適用されない、という解釈を主張するものと思われます。

私見

文言解釈としてはやや苦しいかなと感じます。
条文は「犯人が国外にいる場合」に特に限定を設けていないですから。
それに、条文は続けて

犯人が逃げ隠れているため有効に起訴状の謄本の送達若しくは略式命令の告知ができなかつた場合

を挙げており、起訴状の送達ができない場合というのを「犯人が国外にいる場合」と明確に分けて規定しています。
このような規定ぶりからすれば、「犯人が国外にいる場合」に時効の進行が停止することとした趣旨を「起訴状の送達の困難」に求めるのは、かなり無理がある、と感じられるのです。

弁護側の引用する学説が、公訴時効制度の根拠が被疑者の保護にあるとする立場から、公訴時効がいたずらに延びることを防止したい、という趣旨だとしたら、その気持ちは良く分かる、と言いたいのですが…*2 *3

最高裁の判断

最高裁は、この点に関する判断として、

犯人が国外にいる間は,それが一時的な海外渡航による場合であっても,刑訴法255条1項により公訴時効はその進行を停止すると解される。

と述べました。
朝日新聞の記事にもあるように、最高裁としての初判断です。
刑事訴訟法255条1項の解釈にも、弁護側引用のものを含め諸説あったものと思われます。
これに対し、最高裁としては上記のような解釈を採るという公権的判断が、今回初めて示されたことになります。

今後の実務・学説の対応

以後、実務(検察・警察)がこの解釈で動いていくことは間違いないでしょう。
弁護人としても、この解釈に真っ向から反対する主張をしていくことは、まずありえない、ということになっていくんじゃないか。

学説は、どういう反応を示すか、評釈*4が出るまでは分かりません。この判決を批判する説も多いんじゃないかなとは、なんとなく思いますが。

まとめ

刑事訴訟法255条1項にいう「犯人が国外にいる場合」に国外旅行の場合も含まれるのか、という解釈上の問題点がある。
・この点につき判例は今まで存在しなかった。
・学説は、否定説(今回弁護人が引用)と肯定説の双方が存在したようである。
・今回の最高裁判決は、否定説は採らず、肯定説を採用することを明らかにした(判例)。
・以後、刑事訴訟法255条1項の解釈についての学説は、どちらの説を主張するにせよ、この判例をスルーすることはできない。



*1:刑事訴訟法250条、犯罪が終わった時点から一定の期間が経過すると検察が起訴できなくなる制度

*2:このあたり、わかりにくい文章になってしまったので、あとで補いたいです。

*3:補ってみました。参照→http://d.hatena.ne.jp/nesoberuinu/20091029/1256788185

*4:判例に対する批評を一般にこう呼ぶ。

一般論としての、学説と判例との関係

id:y_arimさんは「最高裁の司法判断」と言っておられますが、これをいわゆる判例*1のことを言っているものとして、話を進めます。

学説

事実に法律を適用しようとする場合に、法律の条文は抽象化された文言で書かれているので、解釈が必要となってきます。
そして、抽象的な条文の文言からは、複数の採り得る解釈が出てくることが多いです。そこで、複数の解釈論の間で論争するわけです。この「条文の解釈をめぐる複数の解釈論」を指して、一般に学説といいます(学説といえば、必ず条文解釈についてのもの、というわけではありません。)。
学説にも、最も支持を集めているとされる、いわゆる「通説」と、これに反対する「少数説」があります。あるいは、「通説」ほど抜きん出て支持されていないが有力な説を指す「有力説」なんて言葉もあります。

判例

これに対して、判例は、「最高裁が下した公権的判断」です。
判例は、一定の拘束力を生みます*2。この点が学説と違うところです。判例が出ると、以後、裁判所のみでなく、実務*3もこれを基準に動くので、非常に影響力が大きいのです。


ほとんどすべての場合、判例には、学説が先行しています。
学説を全く無視しているみたいな判例が出ることもありますが、少なくとも、判例が学説を意識していないということはありえません。
最高裁調査官という役職があって、若手の優秀な裁判官がこの職に就きますが、この最高裁調査官が、最高裁に係属した事件において法律上の争点となっている点に関連する判例(下級審の裁判例も含む)・学説を調べ上げ、最高裁判事に答申していると思われるからです(ウィキペディア*4によれば、判決文の草案まで書いているそうですが)。


すなわち、判例は学説を前提として出るものであると理解していいと思います(繰り返しますが、それまでの学説オール無視みたいな判決が出ることもありますが、そのことによってこの事実が否定されるわけではありません)。

判例が出て以降の学説

判例が出た後、必ず学説が黙ってこれに従うわけではありません(学説間の争いがパタッと止んでしまうことも多いですけど)。それ以降も、判例に従う説・それ以外の説に分かれて争いが続くことも、少なくないのです。
判例が出る以前と異なるのは、判例が出て以降の学説は、判例に対する批評を避けられない点です。つまり、学説は、判例が学説に対してするみたいに、判例ガン無視ということはできないのです。
これは、判例のほうがエライからではなくて、判例に「公のもの」という性質が強いからだと思います。判例を無視して独自の学説を展開しても、法律学としての意味がないのです。
学説は判例を無視できませんが、学説から非常に評判の悪い判例というのはあります。

まとめ

・ある法律の条文について、複数の解釈が出ることが多い。これを学説という。
・実際にその条文の解釈に関係のある事件が起き、訴訟が提起され、最高裁まで上告された場合、最高裁の判断が出ることがある。これを判例という。
・学説はほぼ常に判例に先行して存在するから、判例は学説を前提としている。
判例が出て以降の学説は、これを無視できない。

*1:とりあえず、最高裁判決の中でも事実上の拘束力を持つ部分、と理解してもらえればOKです

*2:刑事訴訟においては判例違反は上告理由となり(刑事訴訟法405条2号)、民事訴訟においても上告受理申し立て理由になります(民事訴訟法318条1項)。下級裁判所は自らの判決が上級審で破棄されるのを非常に嫌うので、判例が打ち立てられた後に下級審がこれに真っ向から逆らう判断をすることはなくなります。また、最高裁じしんは判例変更をすることができますが、これは非常に稀です。どれくらい稀かというと、判例変更をするためには最高裁は大法廷を開く必要があるのですが、近年、大法廷が開かれるのは年にせいぜい一、二回しかありません。開かれない年もあります。

*3:民事なら銀行・企業等および法律系専門職、刑事なら検察・警察および弁護士

*4:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%80%E9%AB%98%E8%A3%81%E5%88%A4%E6%89%80%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E5%AE%98

最高裁判決と学説の関係について

id:y_arimさんが、「誰か最高裁の司法判断と学説の関係について解説してください。」とブクマ*1で言っておられたので、いっちょ書いてみることにします。

私は、ロースクールの学生ですので、純然たる素人ではないですが、間違った理解が混入している可能性はあります(成績良くないですし)。突っ込み歓迎です。


一般論としてどうなのか聞きたいのか、それとも今回のケース*2での両者の関係を聞きたいのか、分からないので、両方答えてみることにします。まず、先に一般論を述べ、次に今回のケースについて述べることにします。